10月17日午前11時

 

 

 

夢の中で彼女はいつも何かしらの着物を着ている。そして横にはいつもあの子がいて、何でもない様子でわたしに笑いかける。わたしは涙が出るほどうれしくて、懐かしくて、そしてすぐに気付く。でもそのことには気付いていないふりをする。わたしは何も知らないふりをして誘い出そうとする。あの子は彼女を気遣う。彼女は少し困っている、恥ずかしそうにしている。きっとみんなと着たかったんだと思う。きっと、わたしたちと一緒に。わたしは、その辺りから、身体中が虚無感でいっぱいになる。しおしおにくたびれて、消え入りそうに悔しくなる。目が覚めて、もう二度と寝たくないなと思う。でもわたしは今日の夜も寝るし、なんなら昼寝だってする。そういうことなんだ結局。目をそらしているだけなのだ、蓋をしているだけなのだ。彼女のことだけじゃない、わたしの中にできた不気味な気持ちの悪い赤い腫瘍を潰したあとが疼く。それは寝ている時にやってくる。幸福で不幸せな夢になってやってくる。どうしたら立ち向かえるのかもよく分からないまま、繰り返し繰り返し夢を見る。神経質なのだと思う。気を許すことは得意だけれど、気を休めるということは難しい。気持ちよく寝ることも、忘れることも難しい。きちんと怒ることも、悲しむことも、難しい。

 

夢でみるのは基本、そのときに無意識に考えていることで、それらがリアリティな映像として、直接的にあるいは比喩的に流れる。夢ででてきた人は、相手の「会いたい」気持ちが抜け出して訪れてくれた、なんて思わない。彼女の意志だなんてはき違えてはいけない。全てはわたしの意識の中での出来事だ。そこをはき違えたら、本当に傲慢になってしまう。幸福であればあるほど、わたしの望みが、いやらしい形であらわれるだけだ。裏を返せば、もう二度と訪れないことだから、そんな夢は出来る限りみたくない。しんどい夢は、現実の方がいいと思わせてくれるから、幸福な夢よりもずっといい。本当は夢なんてみないで、ゆっくり寝たいです。おはようございます。