4月27日午後4時



先週続いた雨は、ああ梅雨だったんだな、なんて思っちゃうような日差しですねわ。こんにちわ。

わたしは夏がすきです。流れるプールで、浮き輪に浮かんでいただけなのに、いつの間にか身体中の力を奪われて、ぐったりするような。Tシャツがこすれてひりひりする肌を気にしながら、西日のなか雑多に溢れかえる人の中でぼーっとしながら、着替え終わる両親を待つあの数分のような。遠ざかるプールの水面が、夕方の一歩手前の太陽を反射してとてもきれいだと見とれているうちに、かき氷が溶け出して、手についてしまったイチゴ味を舐めるような。日が長くなることに、何故か得をした気分になって、意気揚々と帰り道も車内に流れるスピッツと一緒に歌うけれど、気づいたら後部座席のドアとシート横の隙間ですっぽりねてしまって、家に着く頃にはすっかり夜になっていて悔しい思いをするような。そんなところに夏が凝縮されている気がします。

夏服がすきです。夏服を着る少年少女がすきです。車内の効きすぎたクーラーで不自然に冷えた、短い袖から伸びた腕の肌を、やわらかく包むカーディガンがすきです。もう大人だから、氷がよく似合う麦茶だけじゃなくて、きんきんに冷えたビールだって楽しみです。夏はビールが最高なのは間違いないけれど、幼いあの日のように、夢中で気づかないうちにすっかり体力を奪われていてすこんと寝てしまうような、そんな夏になりますように。まだ4月だけど。



白いサンダルをはいて海に行きたいです。すてきなアンクレットを買って、日焼けでその跡がついたりしたらおもしろいかも。あの子の肌はこれからどんどん焼けていくんだろうな。とても楽しみです。







4月23日午後5時

 


みんなが知っている、あの百年も眠り続けたお姫様のお話でも、妖精たちが産まれたばかりのお姫様におまじないをかける。いい妖精もわるい妖精もことばを彼女にかざすだけ。祝福のことばも呪いも同じだ。ことばはその人を規定する。

ことだま、だなんて昔からいわれているだけあって、みんながどこか確信しているように、ことばとは恐ろしい。君はいい人だと言い続けることによって、それ以上わたしの脅威にならないように、やさしく凡庸なものに落とし込めてしまうように、おまじないをかけていたことに気付いてとても反省した。これは神秘的なことじゃなくて、ほんとうの身の回りの実験から導いたことだから、蓋然性が高いと思う。だから誰かの未来に否定的なことをいうといけない。可能性がそこで閉じてしまう。ある程度の自己規定は楽ではあるけど、個人であるわたしたちは自分で欲しいものを選択するべきだ。否定的なことを言われ続けたこどもの反発は、自分を封じ込めようとする見えざる手に対しての精一杯の抵抗だと思う。この間わたしを掴もうとするその手をみて、なんとも恐ろしい気分になったので、あんなことばをわたしは使うまいと、ここで改めて誓おう。

ネガティブなことを引き起こすだけじゃなく、ポジティブな意味でも日常的にそれはよくおこる。強く願い、容易くリアリティをもって想像できる未来は叶ってしまうのと同じだ。わたしの母親がことばを使う魔女だと気付いてからの、諸所への納得は早かった。母の母も魔女だったらしい。わたしはまんまと彼女たちの望むわたしの姿をしている。そしてまた、その文脈の中で生きている。きっと、たいていの母親は子供にとって魔女なのだ。女は老いて腐るのではなく、成熟して魔女になれるのなら、こんなに美しいことはない。美しく老いていくためにも、ことばには畏敬の念を払わざるをえないのだ。




遥か / スピッツ

4月22日午後7時



なんだか文章を書きたい気分の波がきている。文章を書くことそのもの、にたいして、すごく楽しい気持ちになっている。だからこんな風に、だらだらと何回も更新してしまう。筆がのる、というか、指が動くとでもいいましょうか。こんなときに誰かにお手紙を書くといいかもしれない。前みたいに少しテーマをきめてから何かを書くのもいいな。ものすごく濃い灰色たちみたいに、ちょっとしたお話を書いてもいいかも。

スピッツの草野君みたいな、夏目漱石夢十夜の第一夜みたいな、そんな文章を書くのが夢です。







4月20日午後12時



就活をはじめてから。

自分の長所と短所とがすんなり言えるようになった。自分もわりとそれなりに、やってきたんだなと思えるようになった。頑張ってきたと胸をはっていえるようになった。価値観が明確になった。色んな選択肢を振り返って、自分がいまの自分じゃない可能性を考えるようになった。正しかったのか、と考えてしまうこともでてきた。何かにつけて比較して相対的に自分を価値付けするようになった。のこり一年の大学生活を心底楽しもうと思った。後悔のないように勉強をしようと思った。戻りたい過去はないけれど、無性にさみしくなる夜があることに気づいた。振り返らずに進むしかないのだなと思うことがふえた。このままでいいと思えることが増えた。こつこつと努力しようと思うことが増えた。したいこと、やりたいこと、しりたいこと、たべたいもの、ききたいもの、さわりたいもの、世の中のすべてが楽しいと思えるようになった。わくわくしてとまらなくなった。はやく働きたいと思った。無駄なものにこそ価値があると思った。でもそれは、基本的なものがあってこそだと思った。わたしはなにも知らないと思った。おしゃれでかっこいい社会人になりたいと思った。買い物がすきだと気づいた。勉強と就活は両立できると知った。いままでよりももっと、必要のないものを欲しがらないようにしようと思った。スケールの大きいはなし、たとえば世界進出、とかは自分にとってリアリティがないのだと気づいた。自分の能力の限界を知った。周りにいてくれる人たちを大事にしようと思った。刑事物のちょっとした人情シーンにも、うるうるするようになった。無性にカラオケに行きたいことに気づいた。そばかすが気になるようになった。



Letter / 椎名林檎


4月17日午後12時



何も知らないことは無神経か、何も知らないということは人を傷つけるのか、何も知らないということは悪か。そうではないのだな、と思えることがありました。何も知らないで、つまりその人がむかしに何に傷ついてどんな風に哀しかったのかをしらないで、知らないまま接することで、その人を掬い上げることができることもあるのだな。ただ、何気ない行動ことばひとつひとつに、責任があるということ。責任というと、どうも重苦しくて、誰かを深く傷つけてしまう可能性ばかりに目を向けがちだけれど、そうじゃないこともきっと多い。本の中の倫理哲学の彼らのいうことが、少しわかった気がします。

誰かのための親切は、必要最低限でいい。ふつうにしておけばいい、自分が懸命にいればいい。好かれることも嫌われることも傷つけることも掬い上げることも厭わない。今あることはすべて結果で、たまに振り返ればどんなにぎりぎりであったかとひやりとするけど、今が全てだ。

なんてことないことで、なにげないことで、あなたが今ここで笑っていてくれて、わたしは心から嬉しい。よかった、ありがとう。これからもよろしくね。





スウェル / indigo la End





4月16日午後6時



青空をみて心底ほっとした。長い間灰色に覆われていたから、知らない間にその地位を奪われて他の色になってしまっているのではないかと心配していけれど、それは以前と変わらない青色で、安心した。とはいいつつ、以前と変わらないなんて、本当はあるはずなくて、毎日少しずつあるいは全然、違う色なわけだ。わたしからみた全てがそうなように、濃さというものは日々かわっていく。その変化に目を細めながらも、わたしは前と同じ青色だと心底安堵するのだ。進行動詞ではなく状態動詞においてのすきだという現象とは、そういうことなのだな。安易な永続を願うのではなく、stay gold と祝う意味を、少しずつ噛み砕いて考えている。






stay gold / 大橋トリオ