4月23日午後5時

 


みんなが知っている、あの百年も眠り続けたお姫様のお話でも、妖精たちが産まれたばかりのお姫様におまじないをかける。いい妖精もわるい妖精もことばを彼女にかざすだけ。祝福のことばも呪いも同じだ。ことばはその人を規定する。

ことだま、だなんて昔からいわれているだけあって、みんながどこか確信しているように、ことばとは恐ろしい。君はいい人だと言い続けることによって、それ以上わたしの脅威にならないように、やさしく凡庸なものに落とし込めてしまうように、おまじないをかけていたことに気付いてとても反省した。これは神秘的なことじゃなくて、ほんとうの身の回りの実験から導いたことだから、蓋然性が高いと思う。だから誰かの未来に否定的なことをいうといけない。可能性がそこで閉じてしまう。ある程度の自己規定は楽ではあるけど、個人であるわたしたちは自分で欲しいものを選択するべきだ。否定的なことを言われ続けたこどもの反発は、自分を封じ込めようとする見えざる手に対しての精一杯の抵抗だと思う。この間わたしを掴もうとするその手をみて、なんとも恐ろしい気分になったので、あんなことばをわたしは使うまいと、ここで改めて誓おう。

ネガティブなことを引き起こすだけじゃなく、ポジティブな意味でも日常的にそれはよくおこる。強く願い、容易くリアリティをもって想像できる未来は叶ってしまうのと同じだ。わたしの母親がことばを使う魔女だと気付いてからの、諸所への納得は早かった。母の母も魔女だったらしい。わたしはまんまと彼女たちの望むわたしの姿をしている。そしてまた、その文脈の中で生きている。きっと、たいていの母親は子供にとって魔女なのだ。女は老いて腐るのではなく、成熟して魔女になれるのなら、こんなに美しいことはない。美しく老いていくためにも、ことばには畏敬の念を払わざるをえないのだ。




遥か / スピッツ