きみの、とても濃い灰色ととても濃い藍色を黒と呼ぶところが嫌いだった。どうしてもだめだった。僕は持ち前の好意的解釈で、それはきみと僕の色への愛着の違いなのだと納得していた。きみのすきなトマトを僕が嫌いなのとおんなじように、何かに対する愛情が画一的である必要ではないという理論が処世術だった。でもよくみているとそれは、ただ色への愛着が薄いのではなく、世界に対する惰性なのだと気づいた。僕は途端に恐ろしくなってしまって、それに気づいた日は寝るのがいつもより少し遅くなってしまったけれど、次の日もいつものようにきみに連絡をした。そんな風に日々を重ねても、きみがとても濃い灰色をとても濃い藍色を黒と呼ぶたびに、その色をしたもやもやでこころがくしゃくしゃになった。どうしても許せなかった。怒っていたのは僕じゃなくて、無下にされた色たちだったみたいだ。