3月19日午後12時



3月のぬるい雨は、ひとつひとつが、粘度をもっている。それは、幾人もの詩人が春と鉛を並べるように、一種の気だるさが襲うからだと思う。

春夏秋冬と四季を想うとき、春から始める以外の可能性を考えてしまう。けれど、どうも他ではしっくりこない。命のはじまりを春に見立てた先人たちに抗うことができない。結局は無難で収まりのいい形がすきなので、いつも頭の中で、すとんと負けてしまう。はじまりとさよならが同じ季節なのは、とても象徴的だ。

そろそろ手紙を書かなくてはと思う。いつの間にか、すっかり一年が経ったので、手を伸ばして確かめて、出来れば手を合わせることができればと願う。せめて彼女が、その日に何を願っていたのかを、聞くことができれば。言葉にするとあまりに軽いけれど、あなたを想わない日はないよ。擦り切れるような痛みを、喪失を、不在を、手放しはしません。





水色の街 / スピッツ