10月10日午後1時

 

 
 
腹が立ってというよりも勢いで消してしまった昨日の記事に、なにを書いたかぼんやりとしか思い出せなくて困っています。実際は困ってないのだけれど、困ってるポーズをとっているような気もします。感情ってほんとうによくわからなくて、どれだけ言葉を尽くしても文字だけでは人に伝えられないだろうなと思います。けれど、そこをどうにか届けられるようなそんな文章を書きたいな。
 
 
詩人や小説家、作家や画家、または心理カウンセラーや宗教家、思想家。そんなことが世の中に職業として成り立つことに、とてもすくわれます。合理的で科学的で物理的なことだけじゃなくて、言葉や思想や誰かの気持ちを大切にするということはきちんとあるんだと、安心します。そういったことに重きをおくひとを軽視する揶揄したりもする。けれど、誰かの思想やみんなの感情が社会を作るし、そうでなくても日常的に傷ついたり逆に嬉しかったりするのは、やっぱりモノじゃなくてヒトとの交流の中じゃないでしょうか。何かを作ったら、その裏には必ず、それを作った人の思いがある。人間が社会をつくるんです。わたしと同じように、日々を生きる人間が、それってとても素敵じゃないですか。どんなに傷ついても、心から幸せと思える瞬間は絶対にくるから。
 
ずっとこのままでいたいと願うのと同じくらい、ずっとこのままじゃ嫌なんです。終わりがあるから、次があるから頑張れるんです。綺麗事じゃなくて、日々は続いていくし、生きていかなくちゃいけないから。過去は現在の道具ではないし、現在は輝かしい未来への手段ではないから。今を大切に、結局はそんなありきたりの言葉が言いたいだけです。
 
 
 
 
 
ミソラ / セカイイチ