9月4日午後11時

 

 

ご機嫌いかがですか。松本です。

 

初めてパソコンからブログを書きました。こっちの方が、書いている気がしますね。

毎日、隣の部屋から夜中聞こえる、兄とこれから恋人になるであろう女性の電話が煩わしいです。口説いてるのか愛を囁いているのか分かりませんが、お互いの家柄について云々する様子は恋というよりもお見合い。結婚を前提にした適齢期の男女とはこのようなものなのでしょうか。「幸せにする」と言わされているようで兄は大丈夫でしょうか。さぐりさぐりの会話がなのか、兄が案外女の人に対して傲慢ちき自慢げでであけすけで軟派なのが不快なのか。なんだか不憫。どうか彼らに幸あれ。

 

そうそう「小さな恋のメロディ」を見ました。映像が素敵でしたなにあれかわいい。悪友と遊ぶシーンに、雨の浜辺のバス停とお墓の雨のデートや最後の結婚式のシーン。印象的で、美しい。わたしはトム・オーンショウ君びいきでした。ちょっと蓮っ葉な態度が愛おしい。

全体的に子どもから見た大人の傲慢さのようなものが描かれていて、メロディが泣きながら「幸せになりたいだけなのに」と訴える場面ではおもわずうるうる。

 彼女くらいの時、わたしはませて嫌なガキだったので(中学受験のせいでもあるとは思うけれど)大人に対して反発してたような気がします。頭でっかちな自分がいやで、色んなことを経験して確かめたくて、けれど親はそんなのだめだ、やめとけって言うんですよね。それは、校長先生やメロディーの父親の言葉のように、大人だからわかること・自分が経験したからこそ言えること、なのであって、経験したい子どもには伝わらない。教育において、未然に危険を避けることは前提として設けられているのであって、そこで体験でしか得られないものをどうするべきかというのはわたしの関心のあるテーマでもあります。道徳教育は如何に可能か、とかね。そうやってでもプログラム化された成長に何の意味があるのか。正解のないはずの道徳において、「模範解答」があることをどう考えるか。

話が少し膨らみすぎたけれど、男女の仲がそんなにうまくいかないなんて、経験しないとほんとにわからない。というか、自分たちがうまくいかなかったからといって彼らがうまくいかないとも限らないのにね。「愛し続けるよ。もう一週間も愛してる」なんて、なんて、素敵なんだろう。

けれどわたしは、子どもの気持ちばかりではなく、嫌な(そういう風に描かれていた)大人側に共感したりして。夢ばっかみてられん、と日々思うわたしは、真っ白な彼らから見たらこうも醜いのか〜と少し悲しくなりました。「星の王子様」を読んだときと同じ感覚。また読んでみよう。

 

「星の王子様」といえば、この時計欲しいすぎる。ひぃ。

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わたしの大好きなギター少女の憧れの彼が、この映画を題材にして作ったらしい曲を添えて。おやすみなさい。

 

 

Mary lou / 毛皮のマリーズ