9月6日午後1時

 
 
 
わたしが舞台を好むのは、全能感を取り戻せるからなのです。ライブにせよ、演劇にせよ、プレゼン発表にせよ。多くの人から見られることに、興奮するんですたぶん。その発表の前後は、リアルに吐いて泣くほど緊張するし、評価が人一倍気になるくせに、それでも人前に立つのがすきなんだろうと思います。目立ちたがり。自己顕示欲の塊。けれど、舞台にあがったとき、人の視線がこちらに向くことが楽しい嬉しい。
自信があるのかないのかよくわからないけれど、幼少期の全能感をその時だけは取り戻せるようか気がするんです。
緊張感があればあるほど、舞台が大きければ大きいほど、観客が多ければ多いほど、楽しい。
 
この世はわたしのためにあると思える瞬間が、わたしの快感の根本法則な気がします。とってもわがまま。けれど、その全能感は、誰も与えてくれないから自分で取りないかないといけない。自分の感情をコントロールすることや自分の感情に任せることで、身体と精神が調和してるときに少し味わうことができたり。気分と環境があう瞬間、そんなものをずっと求めてる。だからいつもその場面に応じた音楽を探しているし、ライブや映画や本をみて、のめり込んで一体化する。その食べ物に応じた飲み物を錯誤してみたり、その人にあったコミュニケーションと距離感をはかったりする。
 
 
歳をおうごとに全能感といのは薄れていって、とてもしんどいことが多いと思います。できてたことができなくなる、自分がしたことで今まで喜んでくれてたことが気がついたら周りの迷惑になる。エヴァQやら人間失格やらの話ではないけど、そういう理不尽を味わう時期がモラトリアムなんじゃないでしょうか。まさに、過渡期。圧倒的な全能感を得れていた子どもから、不全感に苛まれるおとな。不全感、それ自体を楽しむことができれば、と思います。人生はセカンドシーズンなのです。過ぎ去った季節は戻らない、しんどいけれど、悪いことじゃないきっと大丈夫。
 
とかいいつつ、わたしはまだまだ、全能感に未練がたらたら。だからライブをします。あとほんのわずかな時間だけですが、モラトリアムを終わらせない。舞台に立つ、あの瞬間だけ全能感を取り戻すことができますように。世界はわたしを中心に回ってると思えるような、ライブができますように。大変これは難しいけれど、10回に9回は不全感で死にたくなるのだけれども、それでも頑張りたい。
 
 
随分恥ずかしい決意表明ですね。インターンの最終プレゼンがわりとうまくいってので、調子にのってるようです。
明日は大舞台なので、傲慢な発言も、虚勢だと思ってどうか勘弁してください。正直怖いわ!
 
 
 
 
 
愛してやまない音楽を / andymori