9月29日午後1時

 

 

9月が、もう、終わります。ブログを始めてから、もうこんなに経つんですね。

少しずつ、ブログというかメモを毎日書くことに意義を見いだせるようになりました。

 

事実の羅列でもエッセイでもない、やっぱりわたしの吐露は醜悪なもので、誤解をうんでしまったり場合によって誰かを不快にさせたりもしたかもしれません。それでもわたしとしては(ほぼ)毎日こうやって何かを書くことによって、すこしずつ出来事を消化していくめどがついたように思います。これからも続けようかな。読んでくれている人はどこかにいるのかしら。その人はこれを読んで何を思うのかしら。

 

村上春樹の「約束された場所で」を読みました。信者たちの話を聞くとひやりとしました。自分と共通するところも多く見受けられたからです。村上春樹もいっていたけれど、本当に地続きで、怖いと思いました。

けれど、自分の精神の向上だけを目的として技術の世界をおろそかにするのは、何かが違うと思います。精神の世界は技術の世界よりも高尚なはずがない。形而上学は上にあるのではない。いつだって頭でっかちなわたしだから、行動することや実践することが一番大切だと思います。だから看護師さんやヘルパーさん先生は尊敬する。わたしはごもっともな障害論や教育論を読んでは偉そうな文章を書く。でも実際の苦労や痛みは何も知らない、知ろうともしない。それがずっと悩みで、中高時代はわざと傷つく恋愛にのめり込んでいたような気がします。人と向き合うことを論じるために、まず自分が人と真剣に向き合わないとって、大真面目に言い聞かしていました。結局そんな義務感からの恋愛なんて恋愛ではなくて、頓挫して、頭でっかちなまま、わたしは自分の精神の向上ばかりに目がいく自分を愚かだと感じます。そこが本を読むうちに見えて来た、彼らに対する最初の嫌悪でした。少し前の父親の生活をみていてイライラしていた理由がこれなんでしょうね多分。毎日きちんと暮らして、きちんと同じ仕事ができる人を何よりも尊敬します。

 

誰かに答えを求めると、それは宗教になってしまうんですきっと。それがカウンセリングや教育の危うさにも繋がってくるのだと思います。自由とは責任を引き受けることだからなおさら。言われたことをこなすことで充足感を得られる、必要とされている気がする、信者が求めたのは居場所と他人から肯定されること。あなたは特別だと思わせてくれること。だからのめり込みすぎる恋愛は宗教になる。君の神様になれなくてごめんねっていうね、懐かしいね、ポリスマン最初の曲!人間なので神様にはなれません。だれも答えなんてもっていません。だからきちんと自分で考えないとだめなんだと思います。この本を読んで言いたいことはもっとたくさんあるけど、まあとりあえずのメモはこの辺にしておこう。

 

秋が深まっていきます。さみしい人たちがたくさんいます。

わたしに何か少しでもお手伝いできればいいなと思います。難しいけれどね本当に。

 

 

 

Title of mine / BUMP OF CHICKEN