10月11日午後1時



Twitterをやめたら(アプリは消したけど、ネットで実はついつい見てしまうけど)不便だなと思うことが1つだけでてきた。すごく好きな曲をみつけたときに、それを共感したくて、聞いてほしくて、それの曲のよさについて語り合いたいって気持ちがわたしにはすごくあるみたい。

AWAをインストールしてから、気分次第でいろんな曲をきけるからほんとにすごくいい。全然知らない洋楽、今まであんまり聞かなかった邦楽、ポップスにロックにジャズ。気分にあった音楽と飲み物があれば、やっぱりこんなにも幸せな気分になれるのだわ。

ツイートして誰かと共感したくて仕方ないけど、内緒にしようとおもう。みんながわたしが何に感動してるかなんて興味ないだろうから言わないんじゃなくて、まあもちろんそれもあるけど、わたしから内緒にしようとおもう。なんとなくそんな気分です。



9月15日午後3時




来年からはこんな風に遊んでられないっていうのが、本当に身にしみて感じるようになりました。そうすると、勉強や用事が一気にめんどくさくなって、むしろもうずっと寝ていたいような気持ちにもなります

もつれてたものが、ひとつずつほどかれていくような、シンプルに収まりのいいところに片付いていくみたいな、9月はそんな気分になれるから、やっぱり1番すきです。去年ブログを始めたこの季節に、今年はツイッターをやめました。わたしにとっては、なんとなく、同じような感覚なんだなと思います。


そういえば、文化祭準備日がこの世で一番すきでした。いまから母校にいってきます。





 黄昏サラウンド / Rip Slyme



8月11日午前11時




嫌なことをゆったなーと思うことが最近多くて、嫌なことをいわれたなーと思うことも増えた。人との価値観とかそういう根本的なところのズレが、どんどん目に見えるようになってきた。深い部分ではなく、とても浅いところでひりひりしているけれど、実は深いところで取り返しがつかないようなものなのかとも思う。結局まだまだ、何もわかっていない、子供なのだと思った。温室育ちの生ぬるさが、良くも悪くもわたしの個性なのだと思った。もうみんなとっくにいろんなことを諦めていて、わたしはずるずる、綺麗事で自分の嫌な部分も直視せずに正当化しようとしてる。

なーんか、全然だめだなー





ループする / ふくろうず

7月9日午後12時




わたしの家の窓からみえるような庭の一画には、ビンやらガラスのお皿やらが並べられている。父親がどこからともなく持ってきてもので、その中にはわたしがお土産にあげた、有馬温泉のソーダ水のビンもお行儀よく並んでいる。父はそのビンに、これまたどこから摘んできたのかわからない花を飾る。ガラスのお皿には、庭で採れた梅の実がつんである。雨水や流れ出した果汁で、日々熟していくそれらをみると、いつもあの有名な一文が浮かんでくる。季節を追って日々変化するその庭先。母はそれらを見てくすくす笑っている。芸術家であるらしい彼の美意識を、四季を慈しむその態度を、母は愛しているのかしら、と思った。そういえば若い頃の母は、タバコを咥えて絵を描く父に恋をしていたと聞いたことがある。この老いてきた二人の間にある愛情は、案外ロマンチックなのかなと、少し期待をしながら、どうして笑っているのかと尋ねた。そうすると彼女は、いっそうくすくす笑いながら、自分の巣にものを集めてくる熊みたいで変だし、あの人のごちゃごちゃなセンスを小馬鹿にしてる、と言った。でもあの花だけはかわいいね、と、父親がどこからか摘んできた一輪の花に微笑んだ。二人の間にあるものは、わたしにはまだよくわからない。やまなしがお酒になるのを、気楽に待ってみよう。



親知らず / チャットモンチー




当たり前みたいに、二度と会わない人がいる。どんどん会わなくなって、そのまま会わなくなる人がいる。二度と会いたくないし、会わない人がいる。会いたくても、二度と会えない人がいる。

死は特別なことじゃなくて、日常にあふれていて、簡単で、つまらなくて、凡庸なことだ。人身事故で誰かが死んでも、わたしは、正直迷惑だし、はやく帰りたいと思った。大雨の中、各駅停車の乗客たちは、みんな仕方ないという顔をしていた。場所が奈良と京都の間だったからか、どこかに迷い込みそうな気分だった。横に座ったご婦人と話しながら、死んでしまった誰かについて少しだけ考えた。

たくさんの後悔があって、どうしようもなさがあって、でもそれはなんてことのないことなんだけど、よくある話なんだけど、なんというか、ごちゃごちゃいうのはやめて、何が言いたいというと、
何も悲しんでなんていない嘆いてもないけど、たださみしい。結局まだ信じられてない。人が死ぬってどういうことかまだよくわかってない。あまりに凡庸でありふれているのに、ちっともわからない。この一年ですっかり元気になった。前よりもずっと健康になった。ただなにも変わらずに痛い。会いたいとかじゃない、生きててくればなんでもよかった。わたしと笑っててほしかったんじゃない、どこか遠いところでもわたしの知らない人とでいい。生きてて欲しかった。生きて、疎遠になって、結局とりたてて会わなくなるひとになってても。死なないで欲しかった。あのとき、もっとちゃんと話をきけばよかった。もっと必死に連絡をとればよかった。もっと必死にとめればよかった。生きてて欲しかったのに、ただ、それだけでよかったのに



6月12日午後6時


今日はとてもたのしかった。自分のルーツを探ることも、自分と同じようなことに同じような重さで関心をもってくれる人がいることも、そのたのしさは40もの年の差を軽く超えることも、うれしい。わたしはお姉ちゃんみたいに、わたしの知らないことをたくさん教えてくれる友人がほしいのだと気付いた。いろんな人から色んなことを教えてもらってるから、とても贅沢なのだけど。師匠と呼びたいような、憧れて真似したくなるような、そんな人に出会いたい。社会に出たらきっと会えるはず。たのしみ。


懐かしい曲のワンフレーズをなんとなく口ずさんで、つられて思い出したことがある。あの子とカラオケに行くのが苦手だった。なんでかって、あの子は歌がとても上手だから。わたしは仮にもずっと軽音部で、周りに持ち上げられたおかげで、そこにプライドはあったのだけど、自分の実力は自分が一番知っていた。わたしは歌がすきで、でも下手だった。あの子はとても上手だった。音楽の歌のテスト時間も、学祭のソロでも、彼女がうたうときはいつもどきどきしていた。みんなの胸を打つ、お腹から響く声。そうだとても声の綺麗な人だった。ひどい下ネタだって、その声のおかげで品を失わずに済んでいた。
彼女の歌を聞くたびに、劣等感にまみれたし、それ以上にとても憧れた。彼女がカラオケで歌う椎名林檎は、本当に色気があった。苦手だった。でも、だいすきだった。
とても綺麗な人だった。色が白くて、ほっぺたがピンク色で、本人は嫌っていたけれどきれいな鷲鼻だった。いつだったかみんなを、それぞれ動物に例えたとき、彼女をオウムに似てるって言ったのは、そういった顔の特徴からだけじゃない。わたしにとって彼女は鳥だった。きれいな声で伸びやかに歌う鳥だった。






落日 / 東京事変


6月7日午後5時




紺色、水色、青色、灰色、白色、キャメル色、金色、生成り色

金属、木と草と花、布、陶器

かすみ草、桜、あじさい、朝顔、菜の花、ひまわり、ラベンダー、すすき、シロツメクサ

無骨なかたち、土塗りの壁、気泡の入った分厚いガラス、紺色の幾何学模様の絵付け

パステルカラーの人魚姫のお城、ティファニーブルーのシンデレラ城、きらきらひかる長い髪の毛、きりっとした眉毛に整った派手な顔立ち、ラプンツェルの様な編み込みヘアー、フレンチネイル、すらっと伸びた手脚、アッシュカラーのワンレングス

焼けた肌、ニットと半ズボン、黒髪、長めの前髪、整えられた眉毛、大きな口、黒のバックパック、Tシャツ





パラノイドパレード / きのこ帝国